12月1日、函館市と噴火湾沿岸の4町村が合併して新函館市が誕生しました。旧町村名が消え、
従来の字名がそのまま函館市○○町と呼ぶことになりました。このサイトでは。旧南茅部町一帯を
南茅部地区と呼ぶことにします。

 
南北海道−渡島半島−南茅部地区

縄文遺跡へのご案内

大型住居跡の大船C遺跡

漆製品大量出土の垣ノ島B遺跡



 おそらくは日本で一番道路網の整備が遅れている地域、ここ渡島半島にも最近ようやく高速道路のルート上の調査が始まり、さらに海岸沿いの狭い一般道もバイパスの建設が各地で行われるようになりました。

 その結果、日本海側も噴火湾沿いもいたるところで縄文時代を中心とした各種の遺跡の発見があいつぎ、市町村の教育委員会はその保存発掘に追われ、思わぬ縄文ブームが起こっています。

 津軽海峡を挟んで青森県側では、三内丸山遺跡をはじめとして社会的に発展していた縄文遺跡の発見が相次いでいましたが、全く時期的に重なる時代区分の地層から渡島半島の沿岸各地で大型の遺跡が見出されました。

 この案内板では、函館から噴火湾沿いに渡島支庁管内各地の縄文遺跡の現状を、マスコミ・ミニコミ報道を交え、私自身の見聞を含め載せていきます。

 最初に現在渡島半島でもっとも話題を呼んでいる、南茅部地区の縄文遺跡発掘や展示の様子を中心にお知らせしています。

 


南茅部地区の遺跡群概観



 函館市南茅部地区は函館市街地から東に約30キロ噴火湾に面した漁業の町です。北海道内では現在でももっとも温暖な地域に入り、海進時代であった縄文の最盛期は非常に住み易い場所であったと思われます。

 旧同町教育委員会編纂にかかるパンフレットによればいわゆる考古学上の遺跡は地区内に88ヶ所あまり、面積は150万平方メートルに達するとのことです。1973年に始まった本格的な発掘調査は30年に及び発掘した遺跡は19ヶ所、8万平方メートル。出土品総数は350万点にもなります。

南茅部地区縄文遺跡年表

                    9000年前     6000        5000        4000        3000        2000年前  
  早 期 前 期 中 期 後 期 晩 期  
遺跡名
川 汲

川汲B
八木A

ハマナス野

臼尻B

大船C

川汲

木直C
豊崎N

磨光B

著保内野
大船A  

 この表に見られるように遺跡を年代順に並べると縄文時代を通じて人が生活していたことがわかります。背後に山が迫る狭い海岸線に道路が通り、家が並んでいる南茅部地区ですが、30キロメートル余りの海岸線にはほぼ4キロメートルおきに縄文遺跡が連なっています。全長10キロメートルに満たない小さな川とセットになっている、海岸段丘を定住地にして縄文人は生活していたようです。

 これらの海岸段丘は、あらたに建設するバイパス道路のコースにあたります。 工事に入る前の調査記録保存に忙しい日が続いています。

 数多い遺跡の中でも特にてここ数年発掘に力を入れているのが大船C遺跡です。


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大船遺跡は函館駅から川汲(かっくみ)回り鹿部(しかべ)行きバス(途中乗り継ぎ)で1時間30分。函館空港からは車で45分ほどの距離ですが、バスは運行回数が少なく不便を感じるでしょう。

 本州からフェリーで函館に来られた方は、市内湯の川温泉からトラピスチヌ修道院に向かう道道722号函館南茅部線を経由し、噴火湾回りの道を通り見学されるのが便利です。