森町鷲の木4遺跡からイカの土製品出土

 大きなストーンサークルが見つかった、森町鷲の木5遺跡の近く、鷲の木4遺跡から、イカ型の土製品が見つかったと同町教育委員会が発表しました。

 この遺跡は縄文後期(四千年前)のものとされていますが、土製品の破片をつなぎあわせって見たところ、高さ11.5センチ、最大幅5センチほどのイカの頭部に復元できました。イカの耳の部分の三角形がはっきりしており、同教育委員会では縄文人がイカの形を作ったものに間違いはなく、「イカ型土製品」と名付けたいそうです。

 森町は、デパートの北海道物産展などの「イカめし弁当」で有名な町ですが、「イカめし」にそっくりな縄文遺物が出てきたことで、話題が増えそうです。



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ミトコンドリアによる縄文人類縁調査

 伊達市(火山が噴火した洞爺湖温泉の東側の町です。)の有珠モシリ遺跡(有珠10遺跡)から1985年に出土した合葬された人骨2体は、ごく近縁な血縁関係であることが証明されたそうです。

 北海道新聞01年1月16日付朝刊に載った記事によれば、縄文時代晩期~続縄文時代の遺跡とされる有珠モシリ遺跡の墓地から同時に発掘された2体の人骨は、歯の細胞内に残っていたミトコンドリアを取り出し、DNAを比較した結果、全く同じ塩基配列を持っていたことから、この2体の人骨は同じ母系の近親者と推定されました。(兄弟または叔父甥または従兄弟。)人骨は約11歳と7歳の男子と思われます。

 調査鑑定したのは東北大学大学院医学系研究科の百々(どど)教授、安達助手、伊達市教育委員会の大島文化財課長。

 この報道内容の意味は、発掘された人体の歯からかなりの確率でミトコンドリアDNAが取り出せるものなら、日本各地はおろか全世界の古代人類の移動の跡を追跡できる可能性を持っているのではないかということです。

 今までは頭骨や足骨の形状などで分類していた鑑別法に、別の視点からのアプローチが出来ます。もちろん石灰化していたら駄目でしょうが、縄文時代くらいまではかなりの数を調査して遡れるでしょう。

 これは14年ほど前に話題になったミトコンドリア・イブの古代人版です。ミトコンドリア・イブは現代人のミトコンドリアのDNAを使って現代人の遺伝的系統樹を作ったものです。その後ヨーロッパアルプスの氷の中から発見された5000年前のミイラ・アイスマンやアメリカインディアンのミイラ、日本の縄文人の骨などからミトコンドリアDNAが取り出され調査されたと報道されています。

 人骨の中でも歯は比較的損傷を受けずに残るものです。もし各地から発掘された歯の細胞からミトコンドリアDNAが取り出され比較検討されれば縄文人の系統樹が描けるはずです。
 今度の研究結果が確認され広く応用されれば縄文人・弥生人・渡来人・北方系・南方系などというあいまいな区分表現は2・3年のうちになくなるかもしれません。


三内丸山遺跡のクリの大木、4800年以前のもの

 01年4月7日付け北海道新聞朝刊によれば、昨年秋、青森市の三内丸山遺跡で発見され、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)が年代測定調査をしていたクリの木柱が、4835年~4805年前に伐採されたものであることが、最新の放射性炭素年代測定法(AMS法)による分析で明らかになった、とのことです。

 木柱は同遺跡北西部から掘り出され、県教育委員会三内丸山遺跡対策室が、01年1月、厚さ五㌢の輪切りにし、国立歴史民俗博物館に調査を依頼していたものです。
 同対策室は「土器編年では百年から三百年の幅でしか時代を推定できず、あいまいな場合も多い。今回の数値に年輪パタ-ンを重ね合わせることで、縄文時代の年代の物差しと期待しています。
 これまでの土器による年代想定に比べ、より正確に年代が特定できたことから、縄文時代のすべての尺度となる「縄文暦作成」に向け、年輪測定法の中心的な資料になることも期待できそうです。

 また、木村勝彦福島大助教授が年輪解析したところ、現在の雑木林のクリと比較して、初期の生育が極めて早いことも分かり、これまでもDNA分析などから三内丸山遺跡でのクリ栽培の可能性が示されていましたたが、「肥料を与えたり下草を刈るなど、人が管理栽培していた可能性がさらに高まったのでは」(同対策室)と分析しているとのことです。

五千年前には、南茅部地区の遺跡群も豊富な遺物を残している時期です。クリが食料として活用されていたことも確認されています。とすると、本来クリの木が存在しなかった北海道には、クリの栽培技術が、三内丸山からクリの樹木とともに移入された可能性が非常に大きいといえそうです。

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